自分の子どもは信じられる、その理由

 先日NHKで少子化対策の討論番組をやっていて、パネラーに遥洋子が出ていた。少子化に(今のところ)荷担している私としては、どんなもんかいな、と怖いもの見たさで覗き見る。で、「婚外子を産みやすくするべし。夫はいらないが、子どもは欲しいという女性は私の周りにいっぱいいる」との主張をやっぱり遥洋子がしていて、いつもコレ言ってるけどほんまか?と思う。曰く、夫は手がかかる。男は頼りにならない。邪魔くさい。他人と暮らすのは面倒。子どもだけでいい。子どもは女が産むもんやさかい、子どもは私のものである。
 なぜ「自分の子ども」というものに対してそんなに信頼できるのか、私はとても不思議。めちゃめちゃ自分勝手な子どもかも分からんし、自分が嫌う「頼んない男」に育つ可能性もあるし、犯罪者になるかも知らんし、だいたい自分を振り返ってみても親の思うとおりに育つわけもないし。にも関わらず、遥洋子が主張するようなシングルマザー志向ってのは一応相当数あることになっていて、この子どもに対する幻想ってのはどこからくるんだ、とつねづね不思議だったわけです。

結婚帝国 女の岐れ道

結婚帝国 女の岐れ道

 で、この本を読みまして。
 「結婚している状態というのは、誰かに愛されている(=男に選ばれる存在証明、あなたにとってかけがえのないわたし)客観的証明という幻想状態」というようなことが書いてあって、何か腑に落ちた。
 「あなたにとってかけがえのないわたし」の究極の姿って言うのは,子どもを育ててるときの母親の姿じゃないかと。それって最もかけがえのない関係なわけで、夫(男)はいくらでも代替可能だし、自分に合った男もいるかもしれないけどそれがベストマッチするまでに時間がかかる。自分と合ったとしても、結婚に向いてるかどうかはまた別。それなら、自分で産んだ子どもを育てる=かけがえのない関係の構築、さらに対子どもならそんなに腹も立たない、だってこどもだもの。そうであるなら、「夫は要らない、子どもは欲しい」という発言につながるのは分からなくはない。別にそんな存在証明いらんわ、私は私やしと思ってる人は別にして。
 夫が面倒くさいというのは、代替可能な男という存在に手をかけないといけないのがイヤなのかなと。実の母子関係なら、下手なことしてもよっぽどでない限りその関係は崩れないし、ある意味なにをやってもその関係は磐石だしそんな関係は面倒くさくないってことなのかと妄想しました。
 あいかわらず上野千鶴子はざっくざっく斬っていきます。その思想と相容れないことは多々あるけど、スタンスがしっかりしていてゆるぎなし、スジが通ってるところは嫌いじゃない。
 だからコレ↓も買っちゃったんだな。この人は対談の方がおもしろく読める。書き言葉より話し言葉の方がおもしろい人だと思います。
ザ・フェミニズム