パートナーシップって何かね2

 昨日の「パートナーシップを一方的に破棄された」否定判決(最高裁横尾和子裁判長)についてしばらく考え中。
 あの女性はジェンダー論の教授で、授業の中で自分の結婚スタイルについて講義したり、自分の戸籍を示して学生に勧めてみたりしていたようですが、受講生から見て今回の教授の態度ってどう映るのでしょう。私だったら往生際が悪いよ先生、と思うだろうなあ。
 婚姻届を出さない結婚をする人たちからしてみたら、国の婚姻制度というのは互いを縛りあうようなものなんでしょう。そこから解放されて、別々の人間として対等に付き合っていきたいんだと思うのですよ。だからこそ、どちらかの苗字に変更しなければならない婚姻届は出さないし、一緒には住まない(このカップルの場合)で一定の距離を保っていきたい、と。子供にも縛られず、夫(妻)にも縛られない生き方、というような。そうであるなら、もっと覚悟が必要なんだと思うわけです。互いに縛らないということは、互いに自由なのです。で自分が自由であると同時に相手も自由なのです。自由であるということは案外不安も背中合わせで、いつ相手が自分の元から去るかも分からないという曖昧な関係でもあるわけで、その曖昧な関係がイヤで人は法律婚による確定した関係にしたいんだと思うのです。少なくとも法律婚をしている以上は「相手は自分の元から急に去ることはない、この関係を辞めようと思ったらそれなりの手続きを踏まなければならない」という約束が交わされたのと同じことです。これを面倒くさくて自由がないイヤなものと思うか、これで安心して愛情を注ぐことができると思うか、それは人によりけりです。
 私がこの教授の教え子であったなら、このパートナーに急に去られるという出来事も飲み込んで「いやあ、こういう突然の出来事が起きるから面白い。法律婚なら私が慰謝料取れたわね、失敗したかしら(笑)」くらいは言わないと。戸籍も晒して自分の生き方を題材にしたなら、失敗(ほんとは失敗じゃないかもしれない。もっといいパートナーが現れるかもしれないし、完全な1人の方が楽しいかもしれないし)も題材にして欲しいよ。
 まあきっと、渡辺淳一センセイには論外な出来事だろうけど。