息苦しさから逃れるために

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

この年に生まれた者としては、自分が小学生になったときここまでぎっちぎちだった記憶はない。班活動というものはあったなあという程度。「追求」まではなかったし、ボロ班だのビリ班だのといったことも既になかったと思う。ホント、掃除当番とか理科の実験とか便宜的にクラスを分けるためだけに使っていた気が…あ、「逆上がりをマスターする」ので班ごとに分かれて教えあう、というのはありました。○班はまだできないひとがいますとか、もう全員できる班は他の班を応援しましょうっていうのをやったことがあるぞ。もちろん私は最後の方まで逆上がりができず、肩身が狭い思いをしたものでした・・・
すごく興味深い話ではあるんだけれど、著者は渦中のクラスの児童ではなかったので、そのクラスにいた人の内側からの話がもっと読みたかったと思ってしまった。「鬼のパンツ」をみんなで踊るとか歌うとか、考えただけでイヤすぎる。

イヤすぎると言いながら、私はかつて「優等生」であったのだった。そういえば私は中学時代に生徒会長に立候補したことがある。基本真面目なメガネっ子(但し非萌え)だったので、主張もストレート、今思えば「おいおい、もっと笑いをとれよ、何だそのきまじめっぷりは。私自身も投票したくねぇ!」といった調子であったのが我ながら痛い。もちろん落選しましたとも。それでも、教師の推薦で選ばれる生徒会の役員(庶務とかその辺)のポジションはしっかり得ているのであった。やらしい優等生だなw
でもなんでそういうことに積極的だったかというと、真っ向から反抗する勇気を持たない者が合法的に集団で何かをしなければならない場から逃れる方法はこれしかなかったからなのであった。体育祭の行進をやりたくないけどサボることもできない私にとって、「生徒会の仕事をしなければなりません」という免罪符は自由への近道だった。盗んだバイクで走り出すことも、夜の校舎窓ガラス壊して回ることもできない(したくもなかったけど)私にとって、「優等生」であることは集団生活から逃れるための必要な武器だった。反抗して波風立てるより、生徒会の仕事してるほうが楽だったんだよな、当時の自分にとっては。
中学時代は比較的先生とも仲良くて、職員室でバカ話とかもしてたんだけど(どこが息苦しいんだ?)、先生たちも内部でいろいろとあったんだろうなと思うと今改めてあの頃の先生たちと話してみたい気がする。