シクラメンのかほり

 今日の挿絵はシクラメンです。そういえば布施明は紅白で「My Way」を歌うそうです。冬ですね。「愛の流刑地」です。
 小説の世界でも12月を迎えました。
 この時期になると菊治は高浜虚子のこの言葉を思い出します。
 「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」
 菊治が言うと違う棒のように思えますが、それはまあ置いておいて。
 本来の意味は、毎年いろいろと出来事が積みあがっていくが、1年ごとのことではなく数年に渡って貫かれる信念のようなものが人にはあるのである、といったことらしいです(うろ覚え)。*1
菊治にとっての目標は文壇に返り咲きたい、である。どうにも凡人である。
 もうこのあたりで見果てぬ夢は捨てよう、と思う菊治。でもこれから来年にかけては違うかもしれない、とも思います。それは新しい恋が芽生えたから。創作活動はさておき、この恋で新しい何かを自分にもたらしてくれるかもしれない。冬香のことを思いルンルン気分の菊治。さっそく冬香へメールを送ります。
「あなたと別れたばかりなのに、すぐ逢いたくなるのです」
 それに対し冬香もすぐに返事をよこします。
「そんなふうにいっていただけるだけで、嬉しいです」
 この律儀さを愛しく思い、また返事を送りたくなる菊治ですが夜の12時過ぎ。この時間に速攻メールを送ってくる冬香は大丈夫なのだろうか、と心配します。

 冬香と夫は、夜、どんな形で休むのだろうか。

 気になる菊治なのでした。
 つづく。
 文壇に返り咲きたいと思っているとは知りませんでした。返り咲きたいならいい小説を書いてください、菊治先生。コミュニケーションもろくにとれない体だけの関係は、小説にもいい影響を与えないと思います。

*1:去年から今年、人はいろいろ考えてそこに断層があるかのように思い込むが、それとは無関係に、綿々と連なる確たる棒のようなものがある、ということ。にっけいしんぶん新聞さん(http://nikkeiyokyom.ameblo.jp/?bid=nikkeiyokyom)より引用