菊治、胸に手を当ててごらん

饒舌淳ちゃん。「愛の流刑地」です。
(29日)花に埋もれて眠る冬香(挿絵)
「こんなのはじめて…」と冬香に言われ、思わず菊治はうなずく。本当に、これまで達したことがないのであれば、こんなに嬉しいことはない。菊治は少し余裕を持って聞いてみる。

「本当に初めてなの?」
「はい…」
「僕も初めてだよ」
「…」
「こんなによかったことは…」

こんなにステキな冬香の身体が今までこのように満たされたことがないとは不思議だ。夫との間に子供が3人おりますねんだが、そのことを冬香に問うと「ただそうなっただけ」と答える。夫とはただ、子供を産むだけのセックスだった、というわけか。
(30日)あんまり可愛くない赤ちゃんの挿絵
考えてみると、生殖とは意外に安易なものかもしれない、と思う菊治。

子供を成すだけなら、男と女が性的関係をもつだけで可能である。もちろん男女が健全でなければならないが、そうであるかぎり、結婚した夫婦はセックスさえおこなっていれば、自然に子宝に恵まれる。

…悪かったな、不健全で(怒)
えー、このあとは菊治の講釈が続きます。エクスタシーに導くには好きという愛情、導こうとする男のやさしさと根気とテクニックが欠かせない。女性にも快楽に溺れこもうとする思いがなければ、エクスタシーは生まれないのだ、と。

要するに、生殖は本能だが、エクスタシーは文化である。

このエクスタシーは忘れまい、いや、もう忘れない…心よりも身体が、それを覚えているものである。
(31日)大輪の薔薇の花咲く(挿絵)
菊治はふとデベロッパーという言葉を思い浮かべる。冬香が初めて愛の頂きを極めたなら、自分はデベロッパーの役目を果たしたといえるのではないか。これまでの冬香は、未開の地であったのではなかろうか。

その大地に、菊治が初めて開発の手をそめた。圧倒的な愛と、度重なる口説と、好色なテクニックで懸命に努めるうちに、荒野に芽が生え、蕾が開きはじめてきた。
そして最後に、信じられぬほどの大輪の薔薇が一気に花開いた。

全ての女性は芽生えて花開く可能性がある。女の身体に不毛という土壌はない。デベロッパーがしかるべき情熱と愛情で接すれば、全ての荒野は緑あふれる大地となる。
だが、全ての荒野が適切なデベロッパーに出会えるとは限らない。自分を振り返ってみても、妻や由紀には適切なデベロッパーだったとはいえない。愛の深さか、技巧の良し悪しか、土壌の違いか。
ともかく菊治と冬香は肌が合うようだ。そんな気持ちで正月二日、2人はねむりにつくのであった。
つづく。
えー。今までのみみっちさ・自分勝手さ等満載な主人公を見ていまして、淳ちゃん的には菊治のことを不倫をするにしてはあまり好ましくない人物として設定しているのか、と無理やり思わないこともなかったのですが、やっぱりそういうわけではなかったようすです。圧倒的な愛と、度重なる口説と、好色なテクニックがこれまでの菊治の行動のどこにあったのか問いたい所存です。菊治も胸に手を当ててようく考えるように。口説いた?いつ?
菊治のたれているエクスタシーに関する講釈は、意外と当たっているらしく、かの有名なAV男優・加藤鷹さんもエクスタシーについて同じようなことを言っています。伏せられているトランプが10枚あるとする。「10枚開く=エクスタシーに達する」と考えると、男性の力で開くことができるのは9枚目のカードまでで、最後の1枚は女性が開かなければ全部のカードを開くことはできないのだそうです。
このへんは性愛小説家・淳ちゃんの面目躍如な感じですが、ここに到達するまでの肝心のお話部分が弱すぎて、いつのまに圧倒的な愛が発生したのか分からない(しょっちゅう金の話で愚痴ってばかり)きちんと口説けてない(観光案内か尋問ばかり)、たいしたテクじゃない(読者の方がきっともっといいテクを使っていると思われる)などなど、ちっとも感情移入できない事態になっています。
はて。
これはやっぱり読者の菊治世代の皆さんに勇気と希望を与える物語ですか。この程度のテク(話術もアッチも含めて)でも冬香のような相手にめぐり合えれば、デベロッパー気分が味わえますよとか、もしくは「え、これだったらオレのテクの方が上じゃね?」との優越感を読者に与えて元気付けたいとか。
ま、この3日分だけで淳ちゃんには山ほど言いたいことはありますが、あえて言いますまい。それにしても日経新聞さんは何を思って淳ちゃんにコレを書かせているんでしょう。若手編集部員よ、もっと上司に意見した方がいいですよ。