頭クラクラ

変人に変人呼ばわり。「愛の流刑地」です。
菊治は冬香の指を右手で包む。おくてだった冬香が偶然触れたことがきっかけとはいえ、いやがらずにいじっているところに冬香の優しさと好奇心があらわれている。たまらなく嬉しい菊治。

たしかに夫なら、妻にその程度のことを求めるのは当然かもしれない。それは少し大袈裟に言えば、夫の権利であり、妻の務めかもしれない。いや、見方を変えれば、妻の楽しみでもあり、夫の歓びかもしれない。

ともかく、冬香は夫のそのナニをにぎにぎしてくれろ、という要求を拒否したようである。

「それで…」
菊治は、自分がなにか、他人の閨房(けいぼう)を覗き見する卑しい男になったような気がしながら、やはりきいてみたい。
「で、大丈夫だったの?」

閨房とは、寝室の漢語的表現、狭義では婦人の居間を指すとのこと。(三省堂新明解国語辞典第5版より)菊治はいつも夫婦の営みの話を聞く時は興味津々、自分で心配しなくともすでに充分卑しい男なので安心めされい。
拒否ったところ、夫に叱られた、という冬香。菊治は思わず息をのむほどに衝撃。冬香が叱られる姿を想像するだけで辛く痛ましい気持ちになる。だが、自身のモノを触ってもらえなかった冬香の夫も可愛そうだ。怒るのもやむなしかもしれない。
「それで…」とさらにきく菊治。「こんなことをいって嫌いになりませんか」と言いながらも冬香は続ける。

「あの人、少し変わっているのです」
あの人とは、むろん冬香の夫のことのようである。

つづく。
変わってる、って冬香に言われちゃおしまいですわなあ。
ところで、婦人公論での衣良・小池対談にて、跡目は任せた発言のほかにも淳ネタが散見されました。
ある人が淳ちゃんに「渡辺先生くらいになると、何をしても許されるのでしょう」と尋ねたところ、「うちに居場所がないということがどんなにつらいか、あなたには分からないでしょう」といわれたそうです。
淳ちゃん、家に居場所がないと。とりあえず菊治=淳ちゃんでいいのではないかと。
つか、ナニを握れと求められて応じることが妻の務めだとか夫の権利だとか、そんなようなこと言ってるから居場所なくなるんじゃないかと。ものには雰囲気とか手順とかいろいろあるわけでしょ。その雰囲気について言及なく、ナニを握れと求めるのは夫の権利とか何とかって。そりゃナシだろと。それは性愛通じゃねえだろと。小説の主人公と作者を同一視するのはどうかと思うといわれるかもしれないが、エッセイで淳ちゃんが書いてることと菊治が独白してることは被ることが多いのでそう思われても仕方ないのじゃないかのう。
現在発売中の文藝春秋にても「愛の流刑地」と「冬ソナ」比べってことで、淳ちゃんと誰だかが対談してます。淳ちゃん的には、この小説を読んで性に対する自分の意識を考えてほしいとか言ってますが、それ以前に、セックス以外に登場人物の肉付けをしてください。はなしはそれからだ。