同じすぎる

エッセイでええやん。「愛の流刑地」です。
今までなら今日逢って明後日また逢うなんて考えることさえなかったが、今は可能だ。菊治は1人になりふと微笑む。このまま逢瀬が増し、どんどん激しく求め合っていったら、どうなってしまうのだろう。

何か得体の知れない不安とともに、いっそ落ちるところまで落ちてもいいといった、やや投げやりな気持ちになる。

もう生涯冬香ほど好きになる女性は現れないのではないか。まさしく最後の恋かもしれない。この先いいことなんてないだろう。家庭はもう壊れているし、仕事も今は生活のためにやってるだけだ。書き始めた小説があたればいいがそうもいかぬだろう。

とにかく、ここまできたら、とことん恋に溺れてみたい。

しかし冬香はそうはいかないだろう。夫も子供もいるし、菊治のことを愛しているとはいえ、愛に溺れこむのは難しいだろう。

それより、冬香をそこまで誘い出していいのか。
もしかすると、冬香も、このままずるずると、愛の深みに入り、もはや戻れなくなったらどうするのか。
実際、そんなことをする権利が自分にあるのか。そこまで引きずり込んで、責任を取れるのか。

現実に引き戻される菊治である。
つづく。
「文藝春秋」を読んでしまったら、書いてあることまんま小説になっているので面白くないです。いや、これまでも面白かったかといわれれば別に面白くないんですけど。ツッコミどころもおんなじだだしなあ…。