誰かー!

今月の「私の履歴書」は仲代達矢です。愛する亡き妻を振り返る夫の記録。見習えよ、淳よ。「愛の流刑地」です。
(1日〜2日)
現状に甘んじよ、と自分に言い聞かせる。とやかく言っても仕方がないので、現実を素直に受け入れようと思う菊治。
9月になる。1日から3日間がおわら風の盆であったはずだ。(おわら風の盆の説明・略)冬香が生きていたら一緒に行くはずだったのに。ああ冬香、ああ冬香。妄想の中で冬香が風の盆の踊りを舞う。
風の盆に行けなかったことを考えていたら妖しげな気持ちになる菊治。冬香が踊る姿をリアルに思い描く。笠を被り踊る冬香を思ううち、自分が冬香に惹かれたのは見栄えやスタイルのよさではない、肌の白さと雪国育ちならではの忍耐強さに惹かれたのだと気づく。いつもはその情熱を隠しているが、あるきっかけによりその情熱がほとばしるその落差に惹かれ、自分の中の男が猛るのだ。そうだよね、冬香…菊治は自分のナニを握り締め、自家発電作業に入る。そうしていると妄想の中の冬香も久々に走り出し、乱れ乱れて昇天。それにあわせるように菊治の自家発電もフィニッシュを迎え、独房の中でどくどくと若者のように果てるのであった。
つづく。
おえー。
いよいよ淳ちゃんファンの受刑者(淳ちゃんの脳内読者でないといいですね。どこがいいのかわかんないけど)じみてまいりました。
これが究極の愛の果てなんですか…冬香の死は「究極の愛の果ての死」とあらすじにより認定されてしまいましたが、究極の愛の果てのわりには「死んでしまったらほいさようなら」といった風情で、当の菊治は自家発電やら外を歩くOLさんにムラムラしたりと生ける性に大忙しです。究極の愛の果てならムラムラしてるヒマないんじゃないですかね。結局やることといえば自家発電ですよ。ばかくせ。
何ですかね、淳ちゃんは「男の愛の行き着く先は思い出し自家発電だ!いくらでも思い出せて自家発電できるのが本当の愛だ!」とでもおっしゃりたいんでしょうか?