ちょっとキレてます

たまにはこんな感じで。「愛の流刑地」です。
店内には「カスバの女」が流れている。
世の中にはエクスタシーを知っている女性と知らない女性のどちらかである、と菊治。それによって男やセックスに対する考え方が変わってくるだろ、と持論を展開します。

「これがね、若い女の子はあまり知らない。でも、三十代、四十代の結婚している女性もあまり知らないらしい」

早速冬香から得たあやしい情報を開陳する菊治。そこへ「旦那が怠けてるからだわね」と即答するママ。さらに菊治は子供が産まれてからと生まれる前ではどっちがよかったかを問うてみる。(ママには2人の子がいるそうです)

「そりゃ、産まれてからよ」
「そうだろう。それは、なぜなのかな?」

何訳知り顔だよ!
ママによればあんな大きなものを出したからだ、という。

「子供よ。あんなものを産んだら、女はもう怖いものなしというか、なにがきても驚かない。開き直って、急に強くなるのかも」
「やはり」と、菊治はうなづいて、「産んでようやく、一人前、というわけだね」

うわー、いま21世紀ですよね?21世紀になってまでこのせりふを聞く日がこようとは!それも日経新聞紙上で!

「もちろん、お産は女の普通の生理だから、本当の女になるのはそれからよ

マッ、ママまでそんなことを…あのう、こいつら殴ってもいいですか?
菊治は持論が支持されてることに調子こいてます。子供を産んだ妻を夫がママ、と呼び始めたりしてな、女扱いしなくなるんだよなー、なんてことを言い始めます。
つづく。
えー。日経新聞はどうしたいんでしょう。少子化対策のための淳ちゃん登板ですか?子供を産めばエクスタシーにたどり着けますよ、子供を産みましょう!というのが日経新聞のメッセージですか?
それはそれとしてツッコミどころ満載です。
子供を産んだ後のほうがセックスがよくなった理由がいまいち分かりません。ママの説明、「大きなものを出したから、怖いものがなくなった」というのは、子供を産んだ女性が強くなるのはなぜか、ということなら分かります。それとエクスタシーがつながらない。百歩譲って「怖いものがなくなったから、エクスタシーという未知の世界に足を踏み込む勇気が得られる」という意味だったとしても、今は21世紀です。エクスタシーを求める女性の探究心というのは子供を産んでようが産んでまいが関係ないと思うがいかがか。
例の「30代、40代の結婚している女性もエクスタシーをあまり知らない」この断言、根拠レス。つーか、それ冬香にリサーチしただけじゃん。対象は冬香とその近辺、それもそんな話したことないって言ってるのに、勝手に冬香が自分と同じって言っただけじゃん。
さらに言うなら、子供を産んだら妻を「ママ」扱いして女扱いしない夫はダメみたいなこと言ってますけど、冬香の夫は充分女扱いしてんじゃん。だって2人きりになると求めてくるんでしょ。テクは稚拙かもしれないが、子供産んだら女扱いしない夫に比べれば、ちゃんと女扱いしてるだろうに。それに女は子供を産んでナンボ、なら冬香の夫に菊治は感謝しなきゃならないはずだ。何となくしか物事を決断できない冬香と結婚してなおかつ3人も子供産ませてくれたんだから、セックスがよくなったのも冬香の夫のおかげじゃん。そりゃあね、「子供を産めたのは夫のおかげ」なんて言い草、私は大嫌いですが、こと冬香に限定すればそれは間違ってないのではないかと。だって全てのことにおいて何となく、子供を3人産んでもまだ何となく、だなんて人としてどうなんだと。本当にDVにあってて、子供3人作らされた、というような状況下にいるほかの女性についてはそんなこと言うつもりはないですよ。この小説における冬香という女性の人物像からすると、そこまで言っちゃってもいい人物だ、ということを念おししておきます。