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今日経裏面左上「私の履歴書」は篠田正浩監督です。岩下志麻との出会いはもう少しあとかしら。「愛の流刑地」です。
花火が終わる少し前に屋上を辞す2人。ざわめきがまだあるうちに帰ったほうがさびしくなくていい。
少し何か食べていこうかと、菊治は時々立ち寄る商店街の鮨屋に向かう。店主は菊治が女性連れなのに驚いているようだった。テーブル席はすでに埋まり、2人はカウンターにかける。ビールが出てくると冬香はすかさず注ごうとするのでそれを止め、菊治は先に冬香に「注いでやる」。

「あの人たちはみな見られたのでしょうか」
「どうかな?」「でも若い人は、ああして並んでいるだけで楽しいんだろう」
「やはり、浴衣の女の人が多かったですね」
「ふゆかのが、柄も落着いていて爽やかで、一番似合っていた」
「そんなの…」
「今夜は、このままベッドへ行こう」「そこで、脱がしたい」
菊治はビールを飲みながら、花火の音が響いた子宮を想像する。

つづく。
「あの人たちは…」というのは、神宮外苑に向かっていた人の波のみなさんのことらしいです。唐突すぎや。そしてこのまたかみ合わない会話…浴衣→似合っていた→そんなの…の流れしかつながってないやん!あとはいきなり脱がす宣言だし。2人で交わす言葉が貧困すぎるよー。別に高尚な話なんてしなくていいけど、ちゃんと会話しよう!ほら、テレビで見た話でもいいよ、ちゃんと相手の話を聞いてそれに即した話をしてみようよ。ボディートークばっかりやってると言語能力とか会話力とか落ちてくるもんなのだろうか。
それはそうと、菊治は並んでいるだけでは楽しくないんですね。ねっとりと下半身をいじくりまわらないとつまらないんでしょうねぇ。鮨屋のカウンターでそんなこと言い出すくらいですし。ときどきしか来ない男性客が女性を連れてきていきなり「ベッドへ行こう」「脱がしたい」などと会話(じゃなくて呼びかけ?)をしてたら引くなあ。銀座や赤坂の鮨屋だとそういうオヤジ客いそうだけど、千駄ヶ谷鮨屋としてはどうだろう。