バカ息子か孝行息子か

判定しがたい。「愛の流刑地」です。
(12日・13日)
20日間の拘留期限まであと一週間。息子高士(25)が面会にやってきた。
会わせる顔がないと思うが、わざわざ会いに来てくれたので会うことにする。
何を言われるのか不安だが、それもまた仕方ないことだ。
面会室で顔をあわせると、「父さん・・・」と高士は声をかけてきた。少し安堵する菊治。

「父さん、大丈夫?」
もちろん、大丈夫である。大丈夫の意味がいまひとつわからないが、すぐ倒れたり、死ぬようなことはない。

何だか違和感のある地の文ですが先へ。
よく来てくれた、とうなずく菊治。高士の話によれば、菊治の元妻はずっと泣いていたが、今ではもう大丈夫だそうだ。何を悲しんでいたのだろうか。菊治と結婚して子供までもうけたことへの後悔かそれとも怒り悲しみ口惜しさのあまり泣いたのだろうか。そして今はもう大丈夫だという一言に、元妻は泣いても後を引かずに気持ちを切り替えられる立ち直りの早い女だったということに思い至る。
気にしていた高士の婚約のことを尋ねると、思いがけず「婚約はやめた」という答えが返ってきた。そんなに結婚したかったわけじゃないし、それにまだまだいい人がいっぱいいると思う、と言う高士。菊治は思わず高士の手を握りたくなる。
つづく。
せっかく息子が会いに来て菊治の体を気遣っているというのに、大丈夫の意味が分からないとか「もちろん、大丈夫である」とか、菊治という男は本当に人の想いというものを解しない奴です。高士から母は泣いていたが今は大丈夫だ、と言われただけで「あああいつ、立ち直り早いから」みたいな解釈しかできないし、本当に人としてダメです。性のエリートもウソっぱち、人としてもダメ、小説家としてもダメ、菊治のいいところがあったら教えて欲しいものです。たぶんないけど。
そして高士です。婚約破棄された、ではなく「やめた」ということです。そんなに結婚したくなかった、もっといい人がいるだろうし、という「お前もか・・・」というような理由のようです。これがホントなら、「おいおい、そんなに結婚したくなかったとかもっといい人が…とか言ってる場合なのか?やっぱり菊治2世なのか?」と思うところですが、あまりにバカしかでてこない話なので「父を気遣って自分からやめたことにしている」と自分を騙したい気持ちでいっぱいです。まさか高士よ、父親が真の愛を実現する過程でうっかり殺っちゃったなんて思ってたりしないよね・・・